百川(ももかわ)

葭町の千束屋という桂庵からの紹介で日本橋浮世小路の百川という料理屋に奉公することになった百兵衛は、お目見得の日にたまたま羽織を着ていたので河岸の若い衆のいる部屋へ用を聞きに行かされる。主人家の抱え人といったことから百兵衛は隣り町からの四神剣の掛け合い人ととりちがえられ、早のみ込み男が隣り町の大物だと思って具合をのみ込んでほしいというので、クワイのキントンを丸のみにして目を白黒させる。やっとまちがいだとわかってから今度は長谷川の三光街道へ常磐津の歌女文字(かめもじ)という師匠を呼びにやらされる。長谷川町まで来た百兵衛は、歌女文字の名前を忘れてかの字のつく名高い人ときいて鴨池(かもじ)玄林という外科の医者の家へとび込む。田舎なまりで「河岸の若え衆が今朝がけに四、五人きられやして先生にちょっくらおいでを願えてえ」と頼む。これを「袈裟がけに四、五人斬られた」と取りつがれたので、百兵衛は「手遅れになるといけないから焼酎を一升、白布を五、六反、タマゴを二十ほど用意しておくように」といわれて薬籠を持って帰る。百川で河岸の連中が三味線箱にしては小さいし、いうことがむずかしいといっていると、また早のみ込みがしゃしゃり出て三味線は四つ折れか五つ折れにちがいない。焼酎を飲んでサラシを腹に巻きタマゴをのんでいいのどを聞かせようというんだ…という。それにしても常磐津に手遅れというのはおかしいといっているところへ鴨池先生が来て「けが人はどこだ」「なにかのまちがいでは」「いや、まちがいではない。わたしの薬籠がそこにある」それで百兵衛のまちがいだとわかり、呼びつけて「抜け作め」「おら百兵衛ちゅうだ」「名前じゃねえや、抜けてるんだ」「どのくれえ抜けてます」「どのくれえもこのくれえもねえや、みんな抜けてらい」「そうかね。か、め、も、じー、か、も、じ、いやあ、たんとではねえ、たった一字だ」

解説
百川という料理屋は江戸時代から明治にけけて実在した。これは実話をもとにしたとも、また百川の宣伝用につくられたはなしともいわれる。六代目円生の十八番。

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